MARBLES

江戸川区船堀の子ども英語劇・子ども英語教室・子ども英会話・児童英語教師向けワークショップならMARBLES

  • Home
  • リンク
  • お問い合わせ

児童英語講師=真澄のHistory


第1章:駆け出しの頃

家庭教師をしながら、教える喜び、楽しさをしり、児童英語講師への夢は膨らんだ。「子供たちに英語の楽しさを教えたい!」(今なら子供たちと一緒に英語の楽しさを体験したい!)と熱望していた。そして、某英語専門教室に晴れて就職、児童英語講師という職業に胸膨らませた。ところが、入社1週間でその夢はみごとにくずれた。仕事は印刷、チラシ折り、カードの整理、教材運び!しかも残業、残業で帰宅時間はいつも10時を回っていた。そんなある朝のミーティングで、疲れ果てていた私は「一人暮らしはじめたばかりだし、毎日帰りが遅く て」と泣き始めていた。情けない!それから一年後やっと講師になることができた。

第2章:過信

私は、研修、体験レッスンなどで自信をつけていた。前講師からの引継ぎもお母さんたちが皆口を揃えて、「先生の授業はテンポがよくて楽しい!」といってくれた。私は自分がいい講師のような錯覚に陥っていた。そんなある日、某英語専門教室で最も指導歴が永く、しかも父兄に絶大なる人気を誇る講師の教室から私のクラスに小学校3年生の男の子が移動してきた。自分に自信のあった私は、きっとその子は私の授業のほうが楽しいと思うに違いないと、根拠のない自信を持っていた。彼が移動してから2週間後、オフィスに苦情の電話がはいった。「小口先生の授業はテンポが速すぎてよくわからない。」しかも、この苦情は前講師当てにかけられたのだった。大ショックで目が覚めた!それから、チャンスがあれば講習会、ワークショップに安月給を投入し、積極的に足を運んだ。教材にもお金をつぎ込んだ。

第3章:英語でドラマの芽生え

その頃私は、某ランゲージスタジオに生徒として通いはじめた。生徒として通いながら、ドラマを使って英語を体験させる教え方が一番だ!と実感した。それを実現すべく自分の教室だけ発表会を試みた。これが私の「英語でドラマ」の原点だ。自分で脚本を書き(あちこちからネタを盗ん だもの・・)キーボードで音楽を弾き、司会,進行全てを一人で担当した。そんな私を多くのお母さんたちが心から応援してくれた。夜になるとお弁当・おでん(温めるためのコンロ付き)の差し入れがあった。お母さんたちが発表会当日全員にカレーを作ってくれた。

第4章:生徒の名言

某英語専門教室は地域に密着した英語教室だった。中学生のクラスは地元中学のブラックリストに乗るような子ばかりが通ってきた。教室に入ってくるなり、「今日は○○をなぐった!」といつも物騒な話ばかりを聞かされていた。彼らがやっと無事卒業したと思えば、「お〜い、ラーメンおごって くれよ!」と遊びにくる。うれしいような、悲しいような・・。そんな教室での生徒の名言、「先生ってさ、ふけた友達ってかんじだよな〜。」今考えてもなんだかうれしい言葉だ。そういってくれた彼は、今、30歳ぐらいになっているだろう。一方、私は本当にふけた。

第5章:英語でドラマ、某ランゲージスタジオにて

悪がきたちを卒業させ、私はアメリカに旅立った!もっとドラマの勉強がしたい。クリエイティブドラマティックスというものを学びたい。そういう強い思いから、留学を 決意した。帰国後、今度は以前生徒として通っていた某ランゲージスタジオに就職した。某ランゲージスタジオに就職したのには大きな理由が二つあった。一つは会長:奈良橋陽子を私は心から尊敬し、あこがれていた。今でもはっきり覚えている。百万人の英語、奈良橋陽子の第一回放送!同じダイアローグが状況を変えるだけでまったく別のものに聞こえるという、衝撃!こんな楽しい英語学習方法があったんだ。その衝撃から、いつの日か奈良橋陽子の元で仕事がしたいと強く、強く思っていた。もうひとつの理由は「ジュニアプロダクションの演出をしたい。」という思いからだった。

第6章:夢の実現

ところが、ジュニアプロダクションは私が入社当、姿を消していた。また、期待はずれの幕開けだった。そんな胸中を察してくれたのか、社長が「MASUMI、ジュニアプロダクションを復活させよう!」そういってくれた。奈良橋陽子が私に 親身になって演出のイロハを教えてくれた。永年の夢が叶った時だった。はじめて 自分の演出した作品が大舞台で公演する。幕があがるまでの緊張!興奮!そして、フィナーレ、緞帳が下りてくると、泣いて泣いて泣きまくった!この世の中でこんなに幸せなことはない!そう思った。この第一回作品がアメリカ公演をする運びと なった。公演終了後、やっぱり、こんなに幸せなことは他にない!と思って泣いて泣 いて泣いた。次の作品も次の作品も、いつも終わると そう思っていた。オーストラ リア、再びアメリカ、イギリス、と毎年海外公演も手がけた。

第7章:The Show Must Go on

第2回目の作品で主役の子が具合が悪いといって公演当日やってきた。"Are you all right?"と聞くと、"The Show Must Go on!" そういって、彼は楽屋に入っていた。この"The Show Must Go on!" 当時、私がリハーサル中いつも口にしていた言葉である。何があっても続ける。とにかく舞台に立ったら、続ける:"The Show Must Go on!" そういった彼の具合はその後公演中も回復しなかった。だが、 彼は本番に穴を空けることはなかった。最終公演、ソロの場面、一人では立てない彼を隣でしっかり相手役の子が支え一緒に歌ってくれていた。その様子から、全てを 察知、ただ、ひたすら、祈ること、子供たちを信じること。"The Show Must Go on. "そう、心の中で何辺も繰り返した。フィナーレ、なかなか出てこない。今度, 彼は 両脇から抱えられるようにしてようやく舞台に立った。公演終了後、彼は肝炎のため即入院した。彼の信じられないがんばりと彼の不可能を可能にしたキャストたちの友情に私は深く感動した。ひとつのものに向かうとこんなにもエネルギーが湧くんだということを子供たちが証明してくれた。

第8章:感謝

子供たちと劇作りをしながらたくさんのドラマを体験した。落ち込んでいると、そっと私に励ましの手紙をくれる子がいた。リハーサルを通じて子供たちが自信を持ち、まっしぐらに目標に向かう姿をみるのが私は大好きだった。最終公演はいつも、心の中で「みんな本当にどうもありがとう!」と言っていた。アシスタントの講師がエレベーターの中で、「真澄さん、リハーサルに向かう時、このエレベー ターの中で顔が変わるんですね!」そうよくいわれた。私にしてみれば子供たちとの リハーサルは戦場に乗り込むようなものだったのかもしれない。子供たちと、一対一 の勝負に挑んでいたのかもしれない。きらきらした目でいつも私についてきてくれ た生徒に感謝、応援してくれた父兄に感謝、たくさんのチャンスを与えてくれた某ランゲージスタジオに感謝し、私は退社した。そして、次のステップに挑んだ。それが、「ワイルドバンチ」であり、「フォルテ!」の旗揚げだった。

英語劇で楽しく、英語のレッスン

ページトップ